2020/10/21

・二外の先生が投げる課題のファイルは数字の全角半角が統一されていない。頭に来たので手元で統一した。自動変換スクリプトでも作ってやればいいかもしれない。

・部品屋などでコンデンサのラインナップを見ると大体数十pF~数十uFがメジャーだが、インダクタのラインナップを見ると数十uH~数十mHがメジャーだ。この2~3桁の差は何だろうというのを前は気にも留めていなかったのだが、電気の講義で今日習った部分の知識で説明できることに気付いた。
フィルタ回路でインピーダンス変換をするとLはRに比例するがCは1/Rに比例するから、よくある50Ωなどでのインピーダンス変換を考えるとおよそ2~3桁の差が出るのだ。こういう風に知識と経験が紐づくのは本当に楽しい。両方やっててよかったと心から思えるときだ。
本当にその理解で正しいのか?と思う部分もあるけれど。

・自分の取っている電気の講義は講義資料のファイルに「第三回講義資料」などと漢数字でファイル名が振ってあるのだが、ソートすると数の順にならんのはどういうわけだ、というのが気になったのでググったらこんな記事があった。
漢数字くらい例外にしてくれてもいいじゃん…という気もするが、徹底的に一つのルールで縛り上げる態度はやはり好感が持てる。「千」とか「京」とか、数としても数としてではない意味でも使われる漢字もあることだし。
ファイル名に漢数字を使う方が良くないということが分かった。

・軽くジョギングをした。4kmほど。伝え聞くにジョギングとランニングは運動の方向性として違うものらしいが、自分がやっているのはどっちなのか良く分からない。息は切れているようないないような。
体育は嫌いだったが、身体を動かすのは楽しい。特に今日は気持ちよく走れた。
足はまるで大丈夫だったが、足より先に胸が少し痛くなった。運動不足で肺や心臓も衰えたりするのだろうか?大学の健診が近いのでそのときにちょっと聞いてみたい。

・歩きながらアイヌ童話集の「流されてきた子供の話」のことを考えていて、ケムリクサのことに考えが及んだ。自分はどちらにもいたく感動した訳だが、提示されている価値観としてはかなり対照的なのではないかという点だ。
前者においては「自分は何者か、どこから来たのか」を大事にする心象がどこまでも丁寧に描かれている。主人公は当初自分がどこから来たのか分からず、ひとりぼっちで、それに伴う寂しさを感じている。しかし最後に自分の生まれを知り、ひとりぼっちでも寂しくは無くなり、やがて人が集まり本当にひとりぼっちではなくなり、物語は円満へと向かっていく。
この態度はけものフレンズとも共通している。かばんちゃんは自分を(ヒトを)知るため旅に出て、最終回において一旦の解決を見てなお島外に出て行ったヒトを知るために再び旅に出る。
ケムリクサではその点において真逆だ。9話のりょくが「出自はどうでもいい」という旨の台詞を言っている時点でかなり露骨かもしれない。りりも親元に強いて帰ろうとは思っていない。では何を大切にしているかと言えば、個々人の「好き」「大事」であり、それは先祖などの霊性との対照としての身体性と考えることもできる。最終回のりんが自分の生まれを知った上でなお「自分のやりたいこと」を考えるところに象徴されている。
しかし、こう考えることもできる。船は宙に浮かび、地面は崩れて沈み、「嘘だらけ」とEDに歌われる不安定な世界の中で生きていくためには何を信じている必要があるか?「自分は何者か、どこから来たのか」という基盤自体が崩れ去っていく過渡期において、そこに囚われるのは良い選択と言えるだろうか?という話であるという説。ラストがあれだ。最後に彼らは沈まない地面を手に入れた、という見方も出来るだろう。
また、ケムリクサの世界観が単純に出自や霊性を疎かにしているとはどうも思えない。3話の形見っぽい石をわかばが拾いに行くシーンにしたって、わかばが記憶の葉や世界の仕組みにこだわる脚本にしたって、11話でワカバがりりに問いかけるシーンにしたってそうだし、どうもわかばがある種のバランサーあるいはカウンターとして意図的に配置されているように思える。そうすると「わかばは世界の仕組みについて考えるのが”好き”」という枠組みでの認識はある種不適当である可能性がある。「わかばはケムリクサが”好き”であり、それはそれとして世界の仕組みや成り立ち、歴史を知ることは重要なことだと思っている」という見方も出来る。そうすると9話のりょくに感じた違和感にも納得がいく。りょくは「世界の仕組みについて考えるのが”好き”」だが「自分の出自はどうでもいい」のであり、ここに先述の仮説におけるわかばとのズレがある。
もしかすれば「自分の『好き』だけで突き進める」「依って立つ場所も大事にする」という点で「子供」と「大人」の二項対立にも話が及べるかもしれない。もちろんワカバは「『好き』に生きて欲しい」と言った張本人であり、この説で考えるにしても「両方大事にしている」という点には注意が必要だ。
まだ考えを整理する必要があるが、そもそもケムリクサ本編自体を1年半以上視聴していないので改めて見直さないとまるで確実なことが言えない。

・1,2週間前に折った折り紙の花の形状を輪ゴムで固定していたのだが、今日輪ゴムを外してみたら比較的その形で固定されていた。ウエットフォールディングなどしなくても時間をかければ割と行けるものなのかもしれない。
朝になって広がっていたら笑いものだが。

・柔軟をちょっとやった。

・カラスヤサトシ「いんへるの」を3話まで読んだ。不思議な何かが何の気なしにそこにいる世界観はかなり好物だし、普通の人が奥底に持つ狂気が日常と地続きになっている感じも好きだ。大事にちょっとづつ読み進めていきたい。

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