自分は他人にものを教えるのが好きだ。好きと言うか、もはや自分の全知識を友人や先輩後輩と共有しなければならないという強迫観念に近いものがある。その源泉がこの間分かった気がしたので、書く。

1つには、自分が自分の知識を供与するという形以外のコミュニケーションが下手ということがある。つまりコミュニケーションの手段としてものを教えるほかないということだ。これは分かりやすい。しかし、これを根本に置くと、全ての知識を供与した瞬間他のコミュニケーション方法に移らなければいけなくなるはずである。だから全てを共有しなければならないという強迫観念を説明できない。だから2つめの原因について詳述する。

まず自分は、自分の判断に自信がない。物事を決めるにあたっては、何かにつけて他人の目線を取り入れたがる。(その決定の責任を自分一人で負うべき場合にあってもだ。)かといって、自分の考え事は、自分より情報量が少ない人間では当然判断しえないことが多い。

だから、全てを教えようとする。自分と同じか、より多い情報量を持っている人でないと、自分の判断にまともな甲乙を付けられるはずがないから、全てを教えようとする。全部の知識を共有した上で、「さあ、どうだ」と聞くことを欲する。

高慢な物言いになるかもしれないが、専門の知識にかけて、自分の知識量は同年齢の並大抵の人よりは割と多いものだと自負している。そういう人間が上に挙げたようなへきをもっているのだから厄介極まりない。

教えること、人に知識を供与すること自体は(一般論として)良いことだ。しかしそれが度を行き過ぎると無理な知識量の押し付けになることは明白である。この間、大学のサークル内での共同作業でこの癖が発動して、そこまで詳しい訳ではない仲間に意見を求めようとした結果、その仲間に「俺はその手の知識があんまりないから、君がそうした方が良いって言うならそうするよ」と言われた。全くごもっともとしか言いようがない。自分一人でも自信を持って判断が出来る人間になりたいと思う。